2014.08.29(Fri):思想
天理教を1年近く学んで最近思うのは、
教祖の教えは良いとして、
信者が、仕組みが腐りきってると言うこと。

人を助けたら我が身助かる。
我が身助かりたいがために偽善で
人助けをする人間がいるから、
我が身なんか助からなくてもいいけど、
仕事の根本は人助け、ハタが楽になるから働くだと思う。

ただ、金さえ稼げばいいでは、便利だったり、
暇つぶしだったりで、人を幸せにできているかと聞かれたら、
そうでないことも多々あるのではないだろうか?
そこの点で、助ける事と、金儲けで意味が違ってくる。

で、本当に人を助けているのか?
天理教の2代目、3代目と、代が重なるごとに、
信者から貰うだけもらって、助けること、尽くすことをせず、
代が重なる度に、子に信仰が伝わらない状況になっている。

結婚式も葬式も、天理教は一見、
少額で出来るようになっているが、
実際は、ひのきしんなり、お供えなり、行事参加などで、
日頃から出している分、他の宗教より高くつく。

縁もゆかりもない仏教に何十万円を払うのもどうかと思うけど。
わけのわからん念仏を唱えられて、先祖も浮かばれんわな。

天理教は毎月のようにイベント(行事)があり、
それで信者を教会へ足を運ばせようとしているが、
なんせ、恩も助けもなしに、
ただのイベントで参加を募るだけだから、
天理教を学んで良かったと、信仰につながるはずがない。

歌とか踊りとか、祭り事を教える為に
わざわざ教祖は教えを広めたのかと?
そんな糞みたいな宗教は滅んじまえ!

宗教なんか信仰したって、金にもならないのに、
むしろ損しかしないのに、戦争までするような
イスラム教も滅んでしまえ!

人を助けてこそ。
宗教を信仰していると、全てを神で例えたがろうとするが、
それでは0点。そんなことは馬鹿でも言える。
信仰をすればするほど、宗教的な理由は出してはいけない。
どうして、こうして、どうなるから、こうなったと、
ちゃんと理由、原因などを宗教抜きで言えないと、
理に沿った説明にはならない。

朝勤めと夕勤めがあるが、
実際は拝むよりも、参拝に来てくれた人達との
コミュニケーションのが大事。
誰が怪我をしたとか、病気だとか、亡くなったとか、
どんな悩みがあるだとか。
どっかに相談したくても、出来ない人も沢山いて、
キリスト教のように、相談する場が天理教はあるのに、
有効活用していない。

そして、天理教の悪い点は、
朝夕のお勤めをしなくてはいけないという義務感。
ぶっちゃけ、しなくても死なない。病気にもならない。
しなきゃ死ぬなら、全世界のほとんどの人間は今頃生きてない。

いる人間でやる。あるもので満足する。
人間だもの、元気な時もあれば、
疲れて、病気で起きれない事だってある。
無理にお勤めに出ないといけないと言うぐらいなら、
イスラム教のように、おぢばに向かってお勤めをした方がいい。
その方が、神殿を立てたり、修繕費用が必要だったりしなくて済む。
神殿なんて、一坪四方で十分。
教祖は、お勤めは何万円もする教服、
袴でなくてはいけないと言ってない。

家で拝むよりも、出来れば教会で拝んだほうがいい。
それは、上に書いた、人との会話が重要だから。
家で拝むのと、拝んでないのは、
教会の人間からしたら、どっちも同じ。神のみぞ知る。
人間が勝手に、自分達で自分の首を絞めているだけ。

それと、ひのきしん。
人と話をするのもひのきしん。
作業をするのもひのきしんと、アバウトな教えだが、
現在では作業がひのきしんと言われている。
みかぐらうたに、大工の下りがあるように、
ひのきしんは天理教で大事な意味を持っている。

金がなくては、車にも乗れず、電話も出来ない。
飯も食えず、家でも暮らせない。
そんな、金金金の社会を創り上げると、
必ず貧富の格差と不幸が生まれ、争いが生まれる。

だから、ひのきしんで、金ではなく、
人助けを第一に考える教えを広めたのだと思うのだが、
そのひのきしんをするにしても、

教会長が大工道具などを持ってない人間が多すぎる!
人との話や、祭り事は年寄りでもできる!
若い教会長が道具を持っていないのを見ると、
理がわかっていない、体が健康で居続けるはずがないと感じる。

拝んでいれば、木は剪定され、雑草は伸びない。
んなアホな事があるか!
それが天理教では日常茶飯事。

信者が減って毎日のお供え物が減ったから、
畑を耕すなんてもってのほか。
畑をやってる時間があったら、
においがけをして1人でも
お供えしてくれる信者を増やすべき。
教祖が田畑を売った意味がわかっていない。

畑を持てば、教会を持てば、
それだけ維持管理に金も時間も人でもかかる。
それを教会長自らがやれる範囲ならいいが、
口のお化けが、信者に頼んでやってもらうようでは、
助からない。
せめて、自分の事は自分でやらないと。

大教会は昔のまま、バブルの頃のままの
感覚で、やり方でやっていて、
教会長は貧しい生活。
人を不幸にする為にこの宗教はあるのですか?
滅びてしまえ!

大教会は、お供えを集め、金がない教会に分配する役割、
大教会内の事は大教会でやる。
イベント(行事)は二の次、三の次。

貧に落ちきれと言っても、
現代では、携帯電話、車、パソコン、自転車、掃除機、
草刈機、インパクト、洗濯機、エアコン、扇風機、
そして高額な鳴り物など、
なくてはならない道具が多々有り、
昔のように、金がなくても何とかなる時代ではない。
金がなくては、仕事にならない。

ひのきしんだってそう。
車で作業をしに行っても、ガソリン代はかかるし、
道具代もかかる。
ひのきしん=タダで作業をやってくれると
勘違いしている人も大勢いるが、
感謝は返さないと、罰が当たる。
ケチは、人との絆を切れさせる。

結局、仕事として金を請求する形が健全だと
思えるようになってくる。
それではイカンのさね。
金がなければ助けてもらえないでは、
宗教の意味が無い。
ボランティア団体、NPOの方がよっぽどマシ。

祭り事ばっかり、金儲けの事ばっかりで、
信者が減る。当たり前。
信仰をしていれば、お勤めをしていれば、
人生は良くなっていくのか?
なってない信者ばかりが教会にいる。
効いてないのか、それともいくらかマシになっているのか?

虫や畜類のように、年頃になったら体で金を稼ぎ、
子供を産むような人間が増えている。
動物も人間も変わらない。悪意がないだけ動物の方がマシ。

そんな、知能指数、魂のレベルが低い人間もいて、
犯罪や風俗、借金などで人生を狂わせる。
そうなる前に、立て直す役割として、刑務所やヤクザといった
場所に落ちる前の受け皿の役割が宗教にはあるはずなのだが、
その役割を果たして担えているだろうか?
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