東日本大震災 30日 被災者 夢

 【 2011.03.30(水) 】

夢を見た。

海にいたら津波がきて、
一番高いテトラポットに逃げる。

津波がきたら死体1人、怪我人1人が流れてきて、
うちの周囲にいた人5人が津波に飲まれて海に流された。
そこから逃げ、
津波対策の水門に隠れる。
そこに可愛い子がいて、
メアドを教えるが、
返事は来ない。

水門から出て、緑が広がる町へ。
映画館に行くと、
そこにも可愛い子が、
メアド。

住める場所がないか探す、廃墟にも可愛い子が、
結局、3人にスルーされて凹む。
メールすらしないとか切なす。

また津波が来て、鉄塔に逃げるが、
津波で火災や爆発がおき、
ミサイルがあちこちに、たくさん飛んでいる。

鉄塔にミサイルが当たり、崩れ、地面に落ちる前に着地して助かる。

津波は引き、
緑の地が広がる。

川沿いを歩いていると、
家の窓から転落して、
川で溺死した人がいた。

なぜか嵐のメンバーで、
死んでも生き返るから
死んでもいいんだよって言われて目が覚める。

死ぬ時はいずれ来るし、
生きる事は苦しむ事だから、
生きているが、
たしかに、死んだ方が楽ではある。

どうするか考えながら寝た結果、
こんな散々な夢を見た。

朝起きて、
ガソリンスタンドに並ぶ。
6時30分開始、
7時ぐらいに並び、
288番。

3000円分入れて、
ほぼ満タンにできたのだが、
小便がしたくてしたくて、
膀胱炎になるかと思った。

9時に帰ってきて、
10時からオヤジの家に行って話をすると、
オジサンが言っていてビックリした。
とりあえず、マーマレードパンを食べる。

飯を食ってからオジサンとオヤジの家に向かう。

家に着くと、
母が家の片付けをしていた。

だいたい130センチぐらいは水没していた。
家がこうゆう状態で、
車もなく、とても行ける状態じゃなかったと、
泣いていた。
母の実家も一階まで被災して、
お婆さんは海育ちだから
泳いで助かったが、
隣の家の夫婦が流されているのを助けられずに死亡。
婆さんは二階にいたお爺さんに助けられて助かったぐらい、
たまたま命があるだけで、
母の実家も、父の実家も、
母父の家も被災した。
自分の家を片付けないといけないし、
母の実家も見に行かないといけない、
職場も、こっちの実家も、
そうゆう、自分の家の事をするだけでも
一杯一杯なのに、
オジサンが言うように、
長男なんだから、
自転車で来てでも実家も片付けないといけないって無理だし、
水没と泥と、古い家で、
津波にあうような場所には怖くて家を建てたくないから、
あそこは解体する気でいたから、
まずは住む場所を優先させたと、
で、お姉さんに対する配慮も足りなかったと
謝っていた。
が、オジサンはフンフンと同情する事なく、
自己中らしい態度でいた。
津波の被害にあった人しかわからないだろうから説明すると、
濡れた家電や本などは、
海水に浸かって、
家の外に運び出さないといけない。
床は畳は全滅。
畳の下は泥が入っているのでかき出して清掃しなくてはならない。
家具も移動して清掃しないと、
隙間に泥や水分が残る。
食器類ももちろん。
衣類は洗って助かるものと、
助からないものがある。
海水にもよるが、
化学物質や、下水、泥、油などが含まれているので、
使う物は基本的には全て水洗いしないと、
衛生的に悪いし、
時間と共に白く塩分が出てきて痛める。
もちろん、悪臭がするし、乾けば粉塵が舞う。

それが、自分の住む家の事。
マジで精神的に追いやられる。

ボランティアは、被災していない地域の人が主になるので、
いつ片付けに来てくれるかわからず、
自衛隊は海側のガレキなどの被害が大きい場所には来てくれるかもしれないが、
基本的に住宅地には来ない。
そして、来たとしても、
大きい家具とかしか片付けてくれないから、
細かいものや、捨てない物は自分達でどうにかしないといけない。

これはまだ冬場だったからいいが、
夏にこれなら、
衛生的にマジでヤバい。

そんな状態だから、
態度は悪いが、
オジサンも状況を見て強くは言えずにいた。

母もババアの事を心配していて、
被災していない娘の家にいるから、
安心していたと、
ババアも泣き続けていた。
蛙が車にひかれたような顔だった。

職場に電話をされた、
オヤジも自転車で急いで帰ってきて、
話をするも、二言三言しか話さなかった。
急いで帰ってきてそれかいってツッコミたくなった。
とりあえず、
オジサンがいつ仕事が始まるかもわからないし、
いつまでも従兄弟の家に住まわせておくわけにもいかない。
母父の家はこの通りだから、
片付くまで地区の人がいる避難所に行く話になった。いつになるかわからないが、片付いたら迎えにくるって内容。

そして帰る。

うちとババアは出るのに荷物の整理を行う。
それから、親友の買い物の手伝い。
明日、仕事に行くが、
辞めるつもりらしい。
前々から辞めたいと言っていて、
この機会に辞めて、東京で暮らしたいそうだ。
ヒルズの屋上に牛を飼って、毎日新鮮な牛乳を配るそうだw

それから、帰っている最中に雨が降ってきて、
電話をしても誰も出ないから、
家に帰って干してた物を片付け、
実家に濡れてなかった大きめのバッグを取りに行ってきた。

それから避難所にババアを入れてもらいに行くが、
障害者は入れないし、
4月10日に避難所を閉めるのでと、
部屋にも入れる気もなく断られた。

障害者って言っても、
介護を受けていたなら、
介護に頼んでいるんだから、
重度じゃないのはアホでもわかるはず。
軽度の障害でも受け入れを拒否するって時点で、
入れる気がないと感じて、
すぐに帰ったが、

ちょっと、対応おかしいべと。
被災して、家がない人を受け入れるのが避難所でしょ?
それで、仮設住宅が出来たから、
そちらにってのはわかるが、
仮設住宅の予約も受け付けていないのに、
避難所を閉鎖って、
どこに住めばいいわけ?
特に、被災者がこれだけいて、
近隣に住める場所なんかない時に、
高齢者を排除するようなやり方はどうなのやと!

学校だってそりゃ大切だ?
しかし、家を無くした人がまず優先だべ?
教室なんか、いくらでもクラスを詰めれば開けれるべや!

被災者の生活より、学校教育が大切なら、
学校が普通にやっている時期に被災したら避難所として使えねえべや!

被害が少ないならわかる。
しかし、こんな大規模な災害で、
被災者が住居を争って探している時に、
長距離移動が困難な、
老人を受け入れないって、
こんな薄情な市だとは思っていなかった。

宮城県も仮設住宅はいつになるか全然だし、
他県みたいに、旅館やホテルに住まわせるって事もなく、
水道の放射性物質も一番発表が遅れた。
宮城県沖地震が騒がれておきながら、
こんなに津波被害を出したのも、県の対応に不信感を感じた。

とりあえず、普通なら
10日に閉めると言うなら、
他の避難所を薦めるのが当然なのに、
それもなく、
障害がある人は障害者施設に頼むしかないとしか言われなかった。
被災者を歓迎するでもなしに、
門前払いをするってどうゆうこと?

各家庭いろいろ事情があって、
復興が始まり、仕事に行くと面倒を見れなくなるからと、高齢者を預けにくる人も増えるでしょう。
その点、県や市はど~思ってんの?

対応の悪さに、津波に飲まれて死ねばいいのにって思った。

その事は、母に話し、
母は役所の友達に相談してから電話をよこすって事にして、
家に帰る。

とりあえず、今日急に入ると、
オバチャンに相談もなしに勝手に決めたとなるから、
明日、避難所に入る予定のままでいる。
ちゃんと話せば入れるかもしれないし、
学校意外なら仮設ができるまで入れるかもしれない。
そんな感じて、
言わずにいて、
そして、オバチャンが帰ってきて、
避難所に入れる事を話すと、
やはり、途中から避難所に入れるのは、
世間体的にもおかしいと思われると気にしているようで、
父母から頼むと挨拶があればと繰り返す。

今日追加された話としては、
父母だけではなく、
従兄弟夫婦で預かっているうちに、
ババアに何かあったら、
責められるが、
頼むからと預けられていれば、
頼んで預けている以上、
何かあっても、
言われていない時ほど、
責められる事はないって話。

明日、避難所を回ってみて、
入れるならだけど、
無理そうなら母か父に従兄弟の家にいつまでって頼んでもらおう。
妹がいるまでに家を片付けて、
妹と入れ替わりでババアが入れれば、
住めなくもないような?
ちょっと日程的にも厳しいけど、
4月中ぐらいには何とかできないかと。

他に、夜に腹が痛くなり、
大量に出る。
朝は膀胱炎になりそうになるし、
夜は腹痛になるし、
疲労が体にきている。

離職届けを持って所長が家に来た。
正社員は他の職場に回されたらしい。
辞めずにすんでいると考えれるならいいが、
俺なら職場がそんなに離れるなら辞めたくなるだろうな。

てな事で、
疲れた。

Category: 私生活

Theme: 3.11 東日本大震災後の日本

Genre: ブログ

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