東日本大震災 8日目

 【 2011.03.19(土) 】





15時ぐらいからかな?
やっと電波がつながった!

これで場所を探してメールをしなくてすむようになりました!
ガソリンが残り少ないので、
わざわざ海の方まで行く必要がなくなったのはマジで助かる!
そんなこんなで8日目。

朝から実家に戻り、
被害の状況写真を撮りながら二万円堂で買ったサングラスと、
埋もれていたゲームソフトを三本だけ持って帰る。

それから、給水を誘いに友達の家へ。
なんと、以前書いた長男が2009年の3月8日に結婚して子供がいた!

その彼を連れて、
買い物をしにイオンへ行く。
いつもだが、列の長さに並ぶ気が失せる。
画像が見れるといいが、
右側?の入り口からずっと屋根を通り、道路の方に曲がり、そこからUターンして屋根側まで行っている。

並んで商品を買うまでに5時間ぐらいかかるんじゃないか?って感じで。

で、友達を探すと、
違う店の列にならんでいた。
開店一時間前に並んでいたらしい。
物資が入ってきたと店長さんが言っていたので、
復興が進んでいる事を感じた。

開店するも、全然進まないので給水する。

昨日から、救助に回っていた自衛隊が補給に回ってくれるようになったので、
水道は止まったままだが、
制限なく水を給水車からもらえるようになった。
これで普通に頭を洗ったり、
体を拭いたり、
食器を洗ったり、
飲み水にしたりできるようになりました。

給水から戻ると、
まだ全然進んでいないので、
糞をしに避難所の中学校へ。
久方ぶりに仮設トイレで用を足した。
洋式に慣れると、和式に凄い違和感とやりずらさを感じます。

避難所の外には、
電話があり、連絡をとれるようになっていた。
なぜ野外w

そこから戻っても、まだ並んでいた。
だから水没していた石巻を見に行った。

上川側沿いはパルプの幹周70センチ、
長さ800センチぐらい木材がいくつも流れ着いていた。

津波だけでも大変なのに、
木材にぶつかったらそれこそ大ケガや破損する。

木材は川がカーブしているダイナムの辺りがひどかった。

川沿いはそんな調子で水没。
大街道は入り口がひどかったものの、
中の方は、川沿いではあるものの、
川が海と繋がっていないので、
津波被害よりも、多少水没したって印象。

友達の職場を見るも、
作業をしている人はおらず、
近くのパチ屋を見に行く。
すると、人がいたので、
避難所になっているか、
営業しているのかと思って話を聞くと、
普通に店員だった。

水没はヒドくないものの、大工さんが来ないので、
復旧には時間がかかるらしい。
スロットを打ちたい。
友達は秘宝伝が打ちたいらしい。
しばらくは回収されるんじゃない?って話をしてたが、
海物語で、津波のように押し寄せる出玉イベントとかって冗談を話つつ、
案内された避難所へ。

青葉中に行くも、
友達はいなかった。
地域の案内や、石巻地域の避難者名簿など、
わかりやすかった。
石巻地域以外に住む人の避難者リストの扱いはノートに各自が手書きだったから見にくかった。

子供が新聞を配っていた。
どこの避難所も、
掃除をしたり、案内をしたり、
子供が働いていて偉いです。

それから戻って、海に被害状況を見に行った。

町は家がボロボロで、
ヘドロが20センチぐらいで、復興不可能。

防波堤の吹っ飛んでいる箇所が3箇所は見えた。
沖のテトラポットの上には船が乗っていた。
芸術的である。
墓場には車が乗っかっていて、雰囲気はぶち壊しである。

戻るついでに友達の家を見に行くが、留守。
隣の家の人に安否を聞くもわからず、
地区の避難所にいるのではないかと聞く。
濡れたぬいぐるみなどが家の前に出ていたから無事は確認できた。

隣の家の人は、消防車が警報を流しながら走っていたが、
もう水が来ている状態だったから、
二階に逃げて助かったらしいが、
畑も田んぼも海水に浸かったからしばらくは農業できないね~と言っていた。

そして、友達の家に帰ると、
三時間も何も買ってこないで、
どこ行ってたのと奥さんに怒られていたw

奥さんは赤ちゃんをおぶって携帯の充電をしに避難所まで行ったが、
自転車が泥だらけになって押して帰ってきたらしい。
それから話を聞くと、
友達の奥さんのお婆さんは80歳ぐらいで腰が曲がっているらしい。
避難中に車に助けられ、
近くの神社に避難するも、
水が迫ってきたから、
裏の山に必死によじ登って、救助されたが、
車で助けてくれたは皆を降ろして、
最後に車から降りた為に、
津波にのまれたらしい。

他に、仕事で家に子供を置いてきたお母さんは、
家を探しても見つからず、
探して歩いたら松の木に宙吊りで死んでいたって話もあった。

友達の家は一階が水に浸かり、
掃除が大変そうだった。
しかし、地デジのテレビはギリギリ無事だった。
地デジテレビって10万円ぐらいするから馬鹿にならない。

あと、友達は津波が来た時にデジカメで写真を撮ったのに、
ちょっと水に落としたら使えなくなったらしい。
メモリーカードは無事だとは思うけど、
家電は防水が標準装備にしてほしい。

全家電全滅の他に、
職場に置いてたBluetoothもどこに行ったんだか、
耳につけるものなのに、
ほとんどが防水になってないから雨にも濡らせないんだよね~。

話を戻すが、
友達の家で、水没した軽自動車から細いホースでガソリンを抜けるか試したが、
やはり無理だった。
水没した車からガソリンを抜くには、
タンクに穴を開けて、
そこから抜く方法が王道のようだ。

ガソリン抜き取り失敗から、
避難所に友達がいないか見に行く。

いない事を確認した後、
駅前で自衛隊の給水の他に、食べ物を配っていた。

赤井のパチンコ屋のオーナーからの寄付と言っていたので、
たぶん、俺が連日通っていたジョイパークのオーナー。

先月はジョイパで14万円ぐらい負け、
今月は地震当日4万円やられたが、
29万稼がせてもらい、
何かと縁がある。

友達の赤ちゃんのオムツと、
辛ラーメン2個をタダでもらう。
あと、小分けにされたモンダミンみたいなのと、
ホッカイロをもらう。

他に、サトウのご飯の発芽玄米と、
カロリーメイトが入った袋をコッソリくれた。
赤ちゃんがいると思ってくれたのか、
それとも店のカメラで見ていて自分の事をわかっていたからくれたのか?

最近、食べ物を買ってなかったので助かります。
ほしい人がいたらあげてもいいし。

紙オムツをさっそく友達の家に運んで、
家に帰る途中で電波が改善される。

今日中に電気を復旧させるつもりでと、
ラジオでやっていた通り、
三重県などの他県から電気屋が来てたし、
国道45号線では三台が続いて電線を調べていた。

結局電気は来ていないが、電波が改善されたのは大きな進歩です。
安否確認も容易になったし、
被害状況も伝えやすくなるし、
携帯でネットも見れる。

物資は届くようになったし、
自衛隊が給水してくれるし、
ガソリンも機械が水没してたり、電気がきてなくて手動だったりするが、
きだしたようです。

電波が届くようになったので、さっそく電話で話をしました。

家に帰り、疲れたので、
飯を食ってブログも書かずに寝ました。

追伸。
ラジオでガソリンの便乗値上げに苦情がきていたらしいが、
10㍑2000円でも買えるだけマシです。
てか、便乗値上げをしても買う人がいるからね~。

そうゆう風に、流通を完全に絶った政策に問題があると思う。
車はもちろんだけど、
井戸水を組むにも、
電気を起こすにも、
発電機をガソリンで動かさないといけないし、
もっと改善が必要だと感じました。

Category: 私生活

Theme: 3.11 東日本大震災を体験して

Genre: ブログ

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