2008.01.13(Sun):思想
そもそも神とは何か?
それは人間や宇宙を創った存在。
人間が擬人化し、キリストやゼウスといった神を作った。
キリストは神だが、人間になった姿とされているが、それは後で書くとして、

イスラム教から仏教やユダヤ、キリスト教など、さまざまな宗教があり、

イスラム教は神は一つとして、豚肉を食べてはいけない、女性は肌を見せてはならない、
侵略されたらやり返せ、決まった時間に礼拝を行うなど、
ムハンマドが言った当時のルールを神の言葉としてそのまま現代社会でも守っている。
そのルールを現代風にアレンジしようと言う意見と、神の言葉として少しも曲げようとしないのでイスラム教同士で対立があったりする。

たしかに宗教を自分たちで勝手に修正させてしまっては宗教ではなく、
法律になったしまったり、宗教として成り立たなくなる可能性があるので難しいところである。

で、神の言葉として預言者ムハンマドがイスラム教を創ったわけだが、
結局、神の名を語っただけのムハンマド教なわけで、
ムハンマドが神か?と言ったら疑問を感じるし、
昔の文章をそのまま伝えているとしても、途中からニュアンスと言うか、意味は変わっていると思う。

それからキリストが現れ、自分は神の子として、ムハンマドみたいに神の代弁を始めた。
まあ、神の子って、創造主である神が作った存在だから植物も地球も人間も皆神の子だと思うのだが、
それは置いといて、
基本的にはムハンマドが伝えたイスラム教は、
地域や時代が変わると適切なものではないと神の代弁に現れたのがキリストで、
新しくルールを作ったのがキリスト教だと言える。

そこでキリスト教はキリストが神みたいに扱われたのが問題で、
実はイスラム教の神と、キリスト教の神は同じものだと俺は考える。

そしてゼウスや釈迦などは全知全能、万能な存在として神として扱われ、
弁天やアテナは(だいたいのイメージとして)女性の象徴的な神として、
不動明王は名前の通り、不動の力の象徴のようなものを
神として擬人化しただけだと考えていいと思う。

結局、神は宇宙の創造主で、人間が望むものを擬人化したのが観音などの神。
良いのものの逆は悪いものとして、悪魔や鬼といった存在も人間が作ったと思っていい。
良い悪いも結局は、人間が損得で作ったもので、
人間は結局、形にハメないと神を感じれないと言っていいし、
神に頼らないと試練を耐えれない。
そして、流れ星や短冊など、今後の目標を確認する手順として神頼みを行ったり、
自分に足りないものを補おうとするのに恋愛成就の神や学問の神などに頼る。

そして、いつまでもムハンマドの言った事を聞いてるイスラム教と、
ヒンドゥー教やキリスト教のように、神の子や、神として他に存在していることで、
いろんな弊害や矛盾が生じている。

そこで代表的な問題が、日本で行われる先祖供養。
海外は神を崇拝するのに対し、日本は神の他に先祖も供養し、
じゃあ、海外は先祖がうかばれずにいるのか?と疑問がでるし、
先祖供養をしないと先祖はうかばれないとか?と。

そして日本と言ったら新興宗教。
麻原などが代表的だが、生きている人間を神として扱ったり、
今までにない宗教で先祖を供養して先祖はうかばれるのか?
いままでになかった神に、いままでなかった念仏を唱えたところで何になるのか?

その、新興宗教の始まりじゃないが、イスラム教の母で、キリスト教の父の
子供が仏教で、先祖供養したらどうなのかと。
まあ今のは例だが、イスラムやキリストに先祖供養の概念がないだろうからいいが、
それに似たような矛盾が日本の新興宗教にある。
だからわかりやすくイスラム教が神は一つと言ったと言っていいんだろうが、
キリスト教の魔女狩りなどを代表的なものとして、
昔の物だからと幹部の好きなように書き換えられて伝えられたり、
ムハンマドやキリストといった物語の原作者が神の代弁者として本当に信用していいのか?

そうなったら何を信じればいいか?
そこで現代社会で神に近い存在として、霊能者がいるわけだが、
霊能者は基本的に詐欺師か、頭がおかしいので信じない方がいい。

で、うちが言う本当の霊能者ってのが、江原さんなどのスピリチュアリスト。
スピリチュアリズムは心霊現象を科学的に証明する事から始まった霊能力で、
スピリチュアリストは科学的にも信用できる内容のことを霊視する人。
だから一度、江原さんなどに未解決事件などを解決して霊視を証明してほしいところである。

だから、現代社会で一番神に近い存在はイスラム教でもキリスト教でもなく、
スピリチュアリストだと俺は思っている。

そして、俺が江原さんを見ていると思うようになったのが、
体を失い、自己ってゆうか考えが残像として残ったのが霊とゆう名前がつくだけで、
電気質なものと例えるより、元気や気功や気配などの[気]と例えた方がわかりやすいと思う。

生霊といったものがあることから、その[気]のようなもので相手を敏感に脳で感じ、
オーラとして色を感じたり、記憶や、考えを感じる事ができ、それが憑依や霊視といったものではないかと感じる。

そうゆう私も霊を見たり感じたりできないので存在すると断言できないが、
感情や思考は脳で行うとしても、なぜ生きているかもわからなければ、
目で見たり、触ったり、聞いたりする以外に脳で何かを感じることができてもおかしくないのかとも思い、
霊現象を完全否定することはできない。

そして、霊とゆう存在があることで、霊が帰る場所として天国や地獄といった場所みたいな存在が
人間に考えられているが、その場所が存在するのかは定かではないが、
帰る場所があるってことは、それを生んだ場所もあるだろうから、
そこらへんが神とゆうものなのかもしれない。

ここまでだいたい神や宗教について書いてきたが、
基本的に俺は神を信じない。ってゆうか、嫌い。
この世に苦しむために生み出した時点で恨んでいる。
誰かの戒めや経験になる為に犠牲になる存在がうまれるような、
残酷な世界を作った神は不完全だと思うし、
俺は皆から愛されると思わないから俺は神より悪魔でいい。

最後に、俺は新興宗教を神を欺き、人を騙すものとして、存在を認めないし、
ジハードと言って武力に頼るイスラム教をカルト教団として敵視する。
イスラム教がアルカイダなどの武力を規制できないなら、
世界的にイスラム教を禁止とするべきだし、
武器による神が殺し合いを望むなら、それは神ではなく悪魔なので、完全にカルト教団。
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